闇夜の忘年会

― 寄合・伝統行事・そしてリアル防災訓練 ―

令和7年12月26日(金)

寺谷区は、12戸からなる組で、毎月26日に寄合を開催しています。自治会費などの集金を行った後、自治会からの報告事項の共有や、寺谷区としての行事予定の調整などを行う場です。
寄合は区長さんの仕切りで進められ、地域運営に関わる大切な話し合いの場となっています。
よりによって、この日は朝から大雪となり、外は25センチほどの積雪となっていました。
この日は、年の瀬ということもあり、寄合のあとは「忘年会」を予定していました。

今回の寄合では、「お日まち」行事を中心に、地域行事のあり方について議論する場面がありました。
コロナ禍以降、中止が当たり前という風潮が続いてきましたが、あらためて地域での交流を大事にしていこうという考えを共有しました。

戸主だけが集まる形に限らず、できるだけ地域みんなが参加し、顔を合わせられる場とすること、
また、当番に過度な負担をかけない運営を心がけることが確認されました。

ここで、寺谷区の三大行事について、その意味を整理してみました。(一般的な意味を検索したものです。地域によって違うものと思います。)

☀️お日まちは、五穀豊穣や地域の安寧を願う行事、

⛩️八幡講は、氏神である八幡さまに感謝を捧げる講の行事、

🌻夏まつりは、地域の親睦と子どもたちの健やかな成長を願う行事 と言われています。

これらの行事が、いにしえから大切に守られてきた背景には、農耕文化を基盤とした暮らしがあったからと考えられます。
田植えや稲刈りの時期には互いに助け合い、労を分かち合いながら作業を進め、収穫をともに喜び合ってきました。
お日まちや八幡講、夏まつりは、そうした農作業の節目に行われる、打ち上げであり、次の営みへ向かうためのスタート式のような位置づけがあったのではないかと思います。
行事や寄合を通じて顔を合わせることで、ご近所の顔が見える関係が育まれ、助け合いの基盤となってきました。

一方で、こうした行事や寄合が戸主中心で行われてきたことには、封建的な一面も感じます。
寄合への参加は原則として戸主に限られ、女性区長の記録も残っていません。
当時の社会構造や生活様式を反映したものであり、単純に良し悪しで語れるものではありません。
2代3代の家族が一緒に暮らしており、今日のように「独居老人」という世帯はほとんどなかったということもあります。

また、当番については、きっちりと当番帳があり、順番を記しています。(現存)


ただし、その免除については、明文化された規定はなく、言い伝えや記憶に基づく運用が続いてきました。

記憶の範囲では、

◯区長は区全体の運営を担う立場から除外
◯住職は急な法務が入り得ることから除外
◯実質的な住所地や寄合不参加の状況から事実上除外
といった扱いが暗黙でなされてきたようです。
どこでいつから決まったかは誰も知りません。昔からこうやという一言です。

こうしたことも含め、言い伝えの文化から、記録の文化へ移っていくタイミングなのかもしれません。

暮らしのサラリーマン化が進み、農作業の共同性は薄れていきました。
かつて田植えが終わったあとに、農区で日を決めて慰労と休息を取る「さなぼり」の風習も、いつの間にか姿を消しました。

この変化を、

◯少しさみしいと感じる人
◯行事がなくなり楽になったと感じる人
◯そもそもそんな風習があったことを知らない人
今では、大きく三つの受け止め方があるように思います。

どれが正しいという話ではなく、時代の流れの中で、立場や感じ方が分かれてきた結果なのだと受け止めています。

寺谷の今後の行事として、以下がトントンと決定しました。

① お日まち
日時:2月11日(祝)12時開始
会費:2,000円(会費制) 不足分は寺谷区一般会計から補充
対象:寺谷住民全員
参加確認:1月の寄り合いで確認
当番:Yさんペア(2名体制)

② 夏祭り
時期:7月開催
会費:2,000円(会費制)
対象:寺谷区民全員
参加確認:事前に別途確認
当番:家の配置で順番(時計の反対まわり)(2名体制)
※3大行事でそれぞれに決めていた当番を、通しで順番に当たることで当番が重なることを防ぐこととしました。

振り返ってみると、寺谷の三大行事についても、「なぜやっているのか」という理由を深く考えることなく、当たり前のように続けてきた部分があったのかもしれません。
もしチコちゃんに聞かれたら、「その理由も知らずに、ぼーっとやってるんじゃないよ!」と怒られてしまうパターンです。
けれど、今あらためて背景や意味を考えてみると、そこには農耕文化や地域のつながり、助け合いの知恵が詰まっていました。「当たり前」を問い直すこと自体が、伝統を次につなぐ第一歩なのだと思います。
気がついたことは、できるだけ記録として残していきたいと思います。
言い伝えや記憶に頼るだけでなく、書き残すことで、次の世代や、これから地域に関わる人たちの助けになればと考えています。これからも、折に触れて記録を重ねていければと思います。

この日は年の瀬ということもあり、寄合のあとは「忘年会」を予定していましたが、

19時時57分
ここで突然の停電が発生しました。

すでに料理は届いている。今回は鬼そば屋さんの特製オードブル。

暗がりでも「これはうまい」と分かる、ボリュームと味が伝わるしっかりした内容でした。

暗闇で撮影したためお許し願います。

オードブル形式のため持ち帰ることが難しく、ひとまずその場で食事を済ませてから解散することとなりました。

ろうそく、ヘッドライト、携帯電話など、灯りになるものは総動員となりました。異様な空気の中での忘年会となりました。
停電は雲原だけのようでした。情報収集が始まりました。みっちゃんはいつもどおりフットワークが軽かったものの、どこへ行ったのかは誰も分かりませんでした。
ホームページの情報では、復旧は22時を過ぎる見込みと記載されていました。

急いで食べて、「酒飲み人」だけ放置して、21時にお開きとなり、自宅に戻ると、家の中は当然真っ暗。オール電化のわが家は、すっかり冷えきっていました。

思い出したのは、防災用として4年前に自治会へ導入を進言した「ポータブル電源」のことです。

「災害時に役に立つとは思えない」という理解のない声もあり、深い議論に至ることもなく導入は却下されました。

やむを得ず自腹で購入し、災害に備えていました。そして、この時が来ました。

親父夫婦のこたつにコンセントを差し込むと、ぽっと明かりがともり、部屋にあたたかな光とぬくもりが戻ってきました。

あってよかった。心から、そう思いました。
備えあれば憂いなし。やっぱり必要やないかい。

22時には停電も復旧し、わが家は再び、明るい日常へと戻りました。

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