除夜の鐘のあとに、もうひとつの年越し

― 知った上で立ち会う「大般若経転読(パタパタ)」のご案内 ―

知ってましたか?
恥ずかしながら、私は知りませんでした。

これまで何年も、ぼーっと除夜の鐘を叩いていたんだなと、住職からお話を聞き、今回あらためて思いました。

鐘を撞いて、「はい、年越し」。

それで終わりだと思っていたのです。

でも実は、龍雲寺の年越しは、そこからが本番でした。

【日時・場所】

[場所]
龍雲寺(りょううんじ)
京都府福知山市雲原575番地
電話 0773-36-9575

[日時]

12月31日(大晦日)

① 23時45分頃から 除夜の鐘

② 0時10分頃から 大般若経 転読(体験あり)

※状況により多少前後します

どなたでも参加できます。
途中参加・途中退出も問題ありません。

除夜の鐘は「108の煩悩を手放す音」

除夜の鐘は、108の煩悩の数だけ撞くといわれます。怒り、欲、ねたみ、不安、後悔。人が生きていく中で、どうしても溜まってしまうもの。

鐘を一つ撞くごとに、それを一つずつ手放していく。除夜の鐘は、一気に何かを変えるための音ではなく、丁寧に区切るための音です。

鐘のあとに行われる「大般若経 転読」

鐘が終わり、境内が少し静まった頃。

行われるのが、大般若経(だいはんにゃきょう)の転読です。いわゆる「パタパタするお経」。

大般若経は全六百巻もあるお経で、すべてを読む代わりに、経本を大きく広げ、リズムよくめくりながら祈願します。

大般若経は「祈願のお経」

大般若経は、教えを勉強するためのお経ではありません。

本来は、「災いを退ける」「病や不安を鎮める」「鬼を払う」ための、祈願のお経です。

ここで言う「鬼」とは、角の生えた存在のことではありません。一年分の疲れ、引きずってきた気持ち、なんとなく残っているモヤモヤ。そうした、人や場に溜まりやすいものの象徴です。

なぜ「パタパタ」するのか

転読では、音が出て、風が起きて、場の空気が動きます。

昔の人は、災いは淀みに宿ると考えました。だから、音を立て、風を通し、場を動かす。

これは迷信ではありません。

音やリズム、動き、そして同じ時間を共有することは、人の心と体を切り替えるうえで、とても合理的な方法でもあります。

鐘と転読は、役割が違う

知ってから見ると、鐘の音と大般若経は、ただセットになっているわけではないと気づきます。

除夜の鐘は「区切り」

大般若経は「整えて開く」鐘は終わり。

転読は始まり。

役割が違うからこそ、この順番で続けられてきたのだと思います。

祈りは、その場で終わらない

この祈願は、その夜だけで終わりません。大般若経の転読で祈願された思いは、「龍雲寺年頭」のお札になります。

毎年1月3日、和尚が檀家さんのお宅を一軒一軒回り、お餅と一緒にこのお札を配られます。

このお札、仏壇に飾られているお宅も多いのですが、本来の貼り場所は玄関です。

家の内側ではなく、入口で鬼を止める。とても現実的な祈りの形です。

参加された方へ

なお、この大般若経転読に参加された皆さまには、

和尚の祈祷を受けた「腕につける数珠」がいただけます。(自分で好きな色を選んで持ち帰ってください。)

この時間に立ち会った証のようなものです。気負わず、日常の中で使ってください。

参加費はかかりません。

檀家でなくても参加できます。どなたでも歓迎です。

だから、知った上で参加してほしい

意味を知らなくても参加はできます。でも、意味を知った上で立ち会うと、きっと感じ方が変わります。

正直、眠たいです。寒いです。

でも、あと30分。除夜の鐘のあと、みんなで少し集まって、パタパタしましょう。

鬼をやっつけるのではなく、静かに外へ送ってから、新しい年に入る。派手ではありませんが、ちゃんと効く年越しです。

新年に、ちょっと良いことがありそうな気がする。

それだけでも、この30分には十分な意味があります。

よろしければ、知った上での年越しを、

龍雲寺で一緒に。

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